2025年8月

「人間は長所でつまずく」

 今年三月、叔父の三回忌法要が勤まり、親族・門徒さんを前に法話をさせていただきました。お世話になったことを振り返りながら故人を偲びました。

 

叔父の一言

 叔父の寺は伊吹山に近く、盆正月の帰省だけでなく、登山やスキーの際もよく泊めてもらいました。叔父の教員時代の教え子の方が、奥伊吹で民宿をされていて、私が高校生の時、同級生男女十五人程を誘ってスキーを楽しんだこともありました。

 私は小学生から高校生までの通知簿には「行動力があり、友だちが多い」、また一方「落ちつきがない」という評価を一貫してもらっていました。

 大阪の寺に入寺した頃、叔父から「人間は長所でつまずくことがある」と言われました。子ども頃からの言動や、自己顕示欲の強い私の性格を見抜いての一言だったと思います。

人間は自分の苦手な分野や自信のないことに向き合う時は慎重になるものでしょう。逆に得意な分野には自信があり、良い成果につながれば、周りから評価されることで喜び、うぬぼれ、有頂天になることがあります。

そんな時には、人間関係を悪化させ、足もとをすくわれるぞと警告してくれたように、その一言を住職歴三十年過ぎた今も大切にしています。

 

邪見驕慢

 親鸞聖人は正信偈で私たち凡夫の姿を邪見驕慢と教えてくださいます。「邪見」とは、私が「この目で見た、この頭で考えた」から間違いないと、自己を正当化するよこしまな見方です。「驕慢」は自分の実績や知識や能力を誇り、うぬぼれ、周りを見下し、自己を見失う姿です。

世間の評判が良いときには、私は図に乗り過ぎて、他人の意見や家族からの忠告さえ聞く耳を持たず、「自分勝手」だと思われています。邪見驕慢な私は、叔父の「長所でつまずく」という一言を思いだしては反省。今この言葉は仏さまの智慧の光明として届いているといただいています。