恩楽寺では長年、本堂を会場として開放し、葬儀や法事を通じてご遺族と長い時間を共に過ごしてまいりました。共に語り、共に涙する時間の中で、私たちは「死」という避けがたい事実に直面した人々の、切実な心の機微に触れさせていただいています。
ある70代の父を亡くされたご家族のお話です。ご家族は、父に末期がんであることを伏せ、重い副作用を伴う治療を続けましたが、願い叶わずお別れの日を迎えられました。お通夜の席で、私が「『生きることが正しくて、死ぬことはとても悪いことだ』と思い込んでいませんか?」とお話ししたとき、ご遺族はハッとされ、深い後悔を口にされました。
「『きっと治る』と励まし続け、事実を伝えないことで、父が自分の命と向き合い、願いを遺す時間を奪ってしまったのではないか。余命は知っていたはずなのに、私たちも父も、本当の意味で『死』を予期していませんでした」
これは、死を「敗北」や「絶望」という「点(断絶)」として捉えていたからこその苦しみでしょう。しかし、この後悔こそが、亡き父上と心がようやく一つに重なり、これからの人生を共に歩むための新たな始まりでもあったのです。
一方で、二十年前に亡くなったある男性の姿が、今も鮮明に思い出されます。 彼は余命告知を受けると、すぐに私を病室へ呼び出し、こう切り出しました。
「妻が待つ浄土へ行きたい。家族をまとめきれなかった業の深い自分だが、迷子にならずに妻の元へ行けるよう、仏弟子としての名前(法名)を授かりたい」
彼は葬儀・法事のお布施や墓地管理費五十年分等諸々を前納し、死の準備を整えました。私の父(前住職)が涙ながらにおかみそりを執刀した際、交わされた「先に行って待っといてや」「おう」という短い言葉。そこには、二人が長年築いてきた、理屈を超えた信頼と「行き先」への確信がありました。
この人にとって死は、終わりではありませんでした。愛する人が待つ場所へと続く「線(連続)」の上にある、一つの通過点に過ぎなかったのでしょう。
後者のご家族は、全てを自分で決めてしまった父の潔さに戸惑いを感じておられました。私もまた、僧侶として「家族が話し合う機縁を奪ってしまったのではないか」と自問したことがあります。
しかし、親鸞聖人は最後のお手紙の中で、
「阿弥陀仏は、どのような生涯、どのような臨終であっても、その善悪を選ばない」
と、教えてくださっています。このお言葉は、亡き人の最期を「臨終という点」だけで評価してはならないと伝えています。
告知できずに後悔した家族も、潔すぎて家族を置き去りにした父も、その葛藤や不器用さを含めた「人生という線」のままに、大きな願いの中に抱かれています。
人類は古来より「死後の物語」を描くことで、愛する人を失った空白を埋めてきました。お浄土とは、単なる死後の行き先ではなく、残された私たちが「亡き人は今、仏様として私を導いてくれている」と、人生を再び繋ぎ直すための座標です。
死なないで欲しいと願う愛しさと、死を受け入れていく寂しさ。その両方を抱えたまま、私たちは阿弥陀仏の「選ばない慈悲」の中に生かされています。恩楽寺という場が、これからも皆様にとって、その「線」を確かめ合う場所でありたいと願っております。
真宗大谷派 恩楽寺
乙部大信