八年程前に、本当の兄のように親睦が深かった方を亡くしました。
お釈迦さまは、【愛別離苦】愛する人や大切なものとは別れなければならない、と明らかにされましたが、まさかこんなにも早くその時を迎えるとは思いませんでした。
その後、1年間そのお寺で法務のお手伝いをさせて頂きました。ご門徒のみなさまと住職の亡くなる前の話を色々聞かせて頂きました。聞けば聞くほど、病を受け入れありのままの姿でお参りを勤めていたのだと感じ、その姿が頭に浮かび胸が熱くなりました。
私たちが逃れられない苦しみや悲しみに直面したとき、これを克服することを強いるのではなく、苦しみは苦しみのままに、悲しみは悲しみのままに、ありのままの私たちに寄り添い受け止めてくださるのが仏さまだと再確認しました。
亡くなられた方々は、お浄土に還って終わりではなく、【南無阿弥陀仏】親さまの呼び声を唱和すことで、私たち一人ひとりに至り届き、私の手の温もりを感じると同時に先人方々が導いてくださった慈愛を忘れないように歩んでくださっています。
[南無]は[われにまかせよ][そのまま救う]というはたらきであり、阿弥陀さまのお慈悲にこの私を「おまかせする」それが、南無阿弥陀仏であり「私から仏さまへ」ではなく、「仏さまのほうから私へ」向けられたはたらきです。
毎日のお参りで合掌し南無阿弥陀仏を口にさせていただく度に、阿弥陀様の「われにまか
せよ」とのおはたらきに安心させられる日々であります。
浄土真宗本願寺派
長光寺 天岸 顕正