2026年3月

「足るを知る」ということ

 「足るを知る」という言葉があります。漢字では「知足」と書きます。

 現状を満ち足りたものとして受けとめ、不満を抱かない心のあり方をいいます。これは単なる我慢ではなく、今あるものに満足を見いだすということです。

 私たちは誰しも、「欲しい」という思いを抱きます。欲しいものを手に入れること自体は悪いことではありません。しかし、そのあとに起こる「もっと欲しい」という心が、私たちを落ち着かなくさせます。仏教では、この尽きることのない欲を「貪り」と申します。

 あるお経には、「人の欲は、塩水を飲むようなものだ」と説かれています。飲めば飲むほど渇きが増すように、欲望もまた、満たされるほどに強くなるのです。

 以前、奈良を訪れたときのことです。草を食みながら、のんびりと過ごしている鹿さんの姿がありました。私がそばにいても、逃げもせず、寄りもせず、ただ静かに草を食べています。

 ところが、鹿せんべいを一枚差し出すと様子が変わりました。食べ終わるとすぐに、さらに一枚を求めて近づいてきます。「もうありません」と両手を広げて見せると、しばらくして諦め、また草を食べ始めました。

 さて、それを遠くから見ていた別の鹿さんが、寄って来ました。同じように一枚を食べたあと、「もうないよ」と示しても、その鹿さんはなお私の後を追ってきます。ずっとついて来て、数百メートル、かなりの距離を歩いても離れようとしません。先ほどまで関心も示していなかった鹿さんが、ひとたび好物を見つけると、強く求めてしまうのです。

 やがて本当に何もないと分かると、鹿さんは再び草を食べ始めました。そうしてまた、穏やかな鹿さんに戻るのです。

 好きなものというのは、動物で人間でも、すごく心を乱してくれるもののようです。好きなものは、人生を豊かにしてくれる、素晴らしいものです。手に入れて満足できたなら、ありがたいことです。

一方で、手に入れたのに、あるいは手に入れられずにと、心を奪われ執着してしまうと、具合が悪いようです。

 遺教経というお経には、「知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は天堂に処すといえども、また意にかなわず」と教えられています。足るを知ることを知っている人は地べたに這いつくばっていても安楽な心でいられる。足るを知らない人は例え素晴らしい天のお堂にいたとしても、なお心穏やかではいられない。と言います。

 欲しいものやことに執着して不足を数えるのではなく、また手に入れたなら、あるいは目の前の現実を「ああ、ありがたい」と受けとめる心を育てたいものです。

 日々の中で、人に譲り、感謝を忘れず、お念仏を称える。あるいは皆様それぞれの宗派でのお勤めがあることと思います。

 その積み重ねの中で、少しずつ穏やかな心が育まれていくのではないでしょうか。

 目の前の幸せに気づき、「よかった」「嬉しいな」「ありがたい」と言える日々を大切にしてまいりたいものです。

融通念仏宗 大念寺

  随学実夏